連日、摂氏だと30度近い日が続き、私も幸もいい加減ぐったりしていました。今日は雨模様のお天気だったせいか、気温は低めで摂氏17度。ここ数日より摂氏で10度以上も低いわけですから、非常に楽に感じました。あ〜、暑いのは本当に苦手です。この写真は、なるべく涼しい所を求めてオフィスの中を点々とし、私の机の下に落ち着いた幸。体全体で「暑いよ〜」と訴えているような感じですね。
今村昌平監督が亡くなった(日本時間で5月30日午後)というニュースを最初に読んだのは、CBC(Canadian Broadcasting Corporation)というカナダのニュースサイトででした。それを読んでからasahi.comをチェックし、そしてNew York Timesも見てみました。この三つはどれも彼の功績を要領よくまとめてあり、今村監督について何も知らない人が読んでも、だいたいどのような人であったのか分かるように書かれています。しかし、自国の映画監督の訃報を報道しているはずのasahi.comの記事では表面的なことにしか触れられていなくて、がっかり。今村昌平監督は、カンヌ国際映画祭で二度パルム・ドール(Palme d'Or:最高賞)を受賞しましたが(『楢山節公』1983年、『うなぎ』1997年)、これは日本人監督では彼ただ一人です。日本が世界に誇れるレベルの映画監督についての記事なのですから、もう少し詳しく書かれていてもいいのでは、と思いました。それに比べると、CBCの記事にはおもしろいことが書かれていて、なるほどと思いましたよ。
今村昌平監督は、1926年東京生まれ。早稲田大学で歴史を専攻した後、1951年に松竹に入社。小津安二郎監督に師事し、助監督として『東京物語』(1953)を含む三作品に参加しましたが、小津監督のスタイルを拒絶し、戦後の混沌とした社会の現実を描き出すことに興味があった、とのこと。彼は、大島渚監督、鈴木清順監督、篠田正裕監督と共に、日本ニューウェーブの創始者と考えられているが、これは1950年代後半から1960年代前半に盛んになった、それまでの伝統的な日本映画のスタイルを揺るがすものだったそうです。
CBCの記事に書かれていたおもしろいことは、彼の映画のテーマについてです。「彼の暗くて、時にはタブーであるテーマ、例えば近親相姦や迷信を含むものであるが、それらは北米の観客にはそれほど受けなかった。だから彼の作品は、一度もアカデミー賞にノミネートされたことがないのだ」と書かれています。そして、映画評論家の佐藤忠男によると、「今村監督の映画のテーマは、アメリカ人向けではなくむしろヨーロッパ人に受けるものだ」そうです。
今村監督の作品が、アカデミー賞にノミネートされたことがないことは知っていましたが、彼が好んで扱ったようなテーマには、アメリカ人は興味を示さないのでしょうかね。ただの娯楽ではなく、社会問題が浮き彫りにされているような作品に興味がある北米人もいるはずですから、一概には言えないと思いますが、一般的にそのような傾向があるのかもしれません。
これらの記事で紹介されていた映画で、初めて聞いたものもありました。今村昌平監督の作品は結構見たつもりでしたが、そうでもなかったようです。私が見た一番古いものは1966年の作品ですが、それ以前に12本も作られています。全26本のうち私が見たことがあるのは、8本だけでした。しかしこれらは、どれも印象に残ってよく覚えているものばかりです。
『「エロ事師たち」より 人類学入門』(1966) 『復讐するは我にあり』(1979) 『ええじゃないか』(1981) 『楢山節考』(1983) 『黒い雨』(1989) 『うなぎ』(1997) 『カンゾー先生』(1998) 『赤い橋の下のぬるい水』(2001)
CBC Japanese director Shohei Imamura dead at 79 http://www.cbc.ca/story/arts/national/2006/05/30/shohei-imamura.html
New York Times Shohei Imamura, 79, Japanese Filmmaker, Is Dead
asahi.com 映画監督の今村昌平さん死去 http://www.asahi.com/obituaries/update/0530/006.html
今日の幸飯:
鹿肉、鹿内臓肉、サツマイモ、ニンジン、ブロッコリ、セロリ、リンゴ、椎茸、パセリ、キャロブ、ケルプ、アルファルファ、生姜、ガーリック、わかめ、ひじき、フラックスシード・オイル、サプルメント
|